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川越七福神めぐり

川越・見立寺は【小江戸川越七福神めぐり】第6番 布袋尊

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小江戸七福神巡りの六番目は「見立寺」。

七福神の中で「布袋尊」という神様を祀っていることで知られるお寺です。

一番目から順に回ってきた七福神巡りも、いよいよ佳境。見立寺がどんなお寺なのかを見ていきましょう。

この記事に書いてあるコト

見立寺の概要

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真田幸村とも戦った大道寺政繁が建立したお寺です。戦国時代の関東地方は、北条氏という一族が支配していました。

当時の北条氏は大変な勢力を持ち、周辺国の織田信長や武田信玄・上杉謙信からも一目おかれるほどだったんですよー!

かの豊臣秀吉が、北条氏を「小田原征伐」で破ることで天下統一を果たしたことは、あまりにも有名です。

北条氏を語らずして戦国時代は語れない、そういっても過言ではありません。

見立寺は、そんな北条氏に重心として仕えていた大道寺政繁が建立しました。

大道寺政繁は北条氏が関わった戦の多くに参加しており、あの武田信玄とも戦をするなど、北条氏の信頼を一心に背負った重心の一人です。

さらに、大道寺政繁は真田信繁(真田幸村)とも少し関りがあります。

天下統一を目前に控えた豊臣秀吉が、最後の大敵・北条氏と戦った小田原征伐を行った際、豊臣軍の一将として真田幸村が参加していました。

幸村は豊臣軍の一員として大いに働き、北条氏の大道寺軍と戦っています。

また、一説によれば幸村の初陣は小田原征伐とされ、それが本当なら幸村が初めて戦った敵が大道寺軍ということになります。

※近年では、幸村の初陣は第一次上田合戦と考えられています。

このように、大道寺政繁の周辺を辿ると数々の名だたる武将が出てくることからも、いかに名のある武将だったのかが解るでしょう。

その大道寺政繁が建立したお寺が、この見立寺です。

見立寺の場所と名前について

見立寺はもともと建立寺という名前で建てられました。

しかし、政繁の甥にあたる感誉上人(存貞和尚)が開山を行った後に「見立寺」に改められています。

また、どうやら建てられた当初と場所も変わっているようです。

豊臣秀吉の禁制書という文書によれば「武州川越蓮馨寺同門前 見立寺」とありますので、以前は同じ川越にある蓮馨寺の前にあったと考えられます。

それがどうしてこの地に移動してきたのかについては、良くわかっていません。

見立寺は過去に二度焼失してしまっているため、移築の詳しい経緯が解らないのは残念なことです。

見立寺が祀っているのは「布袋尊」

小江戸川越七福神巡り、六番目にあたるお寺では「布袋尊」を祀っています。

布袋尊は、中国に実際に存在した僧侶が元になっていると言われています。

各地を訪ねて歩いていたとある僧侶があまりに尊い人物であったことから、亡くなった後に「弥勒菩薩の生まれ変わりではないか」と言われるようになり、神様として扱われるようになりました。

その僧侶は大きな布の袋を持って各地を歩いていたため、そこから「布袋和尚」と呼ばれ、神格化されたあとは「布袋尊」と名付けられています。

布袋尊の教えは「泣くのも人生、笑うのも人生、だったら笑っていた方がいい」。

そのため、布袋尊の銅像はどれもニコニコと笑っているものばかり。

そして、その名前の由来のとおり大きな袋を持っていることも特徴です。

見立寺の見どころ

見立寺も見どころ満載!ひとつずつチェックしてみましょう。

本堂にある五本の紐に注目

見立寺の本堂を見ると、そこから五本の紐が伸びているのを見ることができるでしょう。

これは「御手綱」と呼ばれているもので、見立寺の本尊・阿弥陀如来と繋がっていると伝えられています。

この紐を手に取ることは阿弥陀如来と手をつなぐことと同じと言われていますので、訪れたらぜひ紐を握りましょう。

紐を握るときは、必ず「南無阿弥陀仏」と唱えてください。

普段は公開されていませんが、見立寺にある阿弥陀如来像を見るとちゃんと御手綱を握っています。

布袋尊がいるお堂

見立寺境内には、布袋尊がいる小さなお堂があります。

布袋尊は大きなおなかを出して大きな袋を持ち、満面の笑みを浮かべながら訪れる人を迎えてくれます。

その顔を見ているだけで、こちらもほほ笑みたくなってくるから不思議。

それだけで、人に幸せを運んでくれる神様であることが解るでしょう。

布袋尊のお顔を見ると、見ている方の気持ちも温かくなります。

徳本上人の記念像

見立寺境内を散策すると「旅立ちの法然さま」という銅像が立っているのを見ることができるはず。

小さな子供が狩衣を来て、木の棒を杖のようについている姿の銅像です。

法然さまは岡山県美作市に生まれましたが、ある日父が夜討ちで亡くなってしまいます。

父は亡くなる間際に「自分を殺した人間を恨まないように」という言葉を法然さまに遺言として伝えました。

このような経緯から、法然さまは父を弔うために仏の道に入りましたが、あまりに優秀な子供だったために「都にある比叡山で学ばせた方がいい」ということになり、比叡山へと旅立ったのです。

その比叡山へと旅立つ姿を銅像にしたのが、この「旅立ちの法然さま」の銅像です。

徳本上人は旅の途中で川越にも立ち寄っているため、その縁から見立寺に、この像が造られました。

赤穂浪士・矢頭右衛門七の妹のお墓があります

主人の仇討ちを果たし、その後に切腹で果てたことで知られる赤穂浪士。

赤穂浪士は忠誠心の代名詞として今でも語り継がれ、かつてはあの新選組も赤穂浪士に憧れたと伝えられています。

その赤穂浪士の中で、矢頭右衛門七はまだ17歳の年若い青年でした。

あまりに若いために当初は仇討ちに加わることを反対されたそうですが、本人の強い意思で加入が認められ、そのままこの世を去りました。

見立寺にあるのは、その矢頭右衛門七の妹のお墓です。

秋には美しい金木犀でいっぱいに

見立寺境内には金木犀の木が植えられており、秋になると美しいオレンジ色の花といい香りを楽しめます。

この美しい金木犀を見るために、見立寺を訪れる人もいるほど。

秋に訪れれば、優しい香りが訪れる人を穏やかに迎えてくれるでしょう。

秋の七草めぐり~見立寺は「葛(くず)」

小江戸川越七福神巡りでは、各お寺で秋の七草を紹介しています。

見立寺で紹介されているのは「葛」。

根が粉となり、これが「葛根湯」という風邪の薬として良く使用されています。

見立寺の御朱印・ご朱印/お守り

御守り、ご朱印について。ご朱印は境内の中にある社務所でもらうことができます。

お寺を散策し、手を合わせた後にいただきましょう。

境内では絵馬の販売も行われているようです。

見立寺:アクセスと地図

神社名 見立寺(けんりゅうじ)
所在地 埼玉県川越市元町2丁目9−11
電話番号 049(222)3321
参拝時間 24時間可能
URL http://www.kawagoe.com/7fukujin/mobile/kenryuuji.html

パワースポットとしての見立寺

見立寺の見どころは、何といっても布袋尊像の笑顔でしょう。

見るだけでこちらの気持ちも温かくなるような、優しくて穏やかな笑顔の像は必見です。

この像を見てパワーがもらえるのではないかと思えてくるほど。

見立寺の小さな境内は隅々まで人の手で綺麗にされており、歩いていても「大切にされているお寺なのだな」ということが伝わるよう。

秋の晴れた日に行くと、金木犀の花と優しい香りが迎えてくれ、より癒される時を過ごすことができるでしょう。

「泣いても笑っても同じ人生なら、笑って生きていこう」と説いた布袋尊の言葉どおり、そこにいると辛いことがあってもほほ笑みたくなるようなパワーに溢れています。

まとめ

過去に二度焼失してしまっているお寺のため、現在ある本堂は明治時代に造られたものです。

そのため詳しい由来が解っていないところもありますが、戦国時代に華々しく活躍した北条氏の重臣・大道寺政繁が建立したお寺であることは間違いありません。

北条氏は関東一帯を支配するほどの力を持っていた一族ですから、お寺を見ながらその栄華を想像してみるのもいいでしょう。

また、その北条氏でさえも時の権力者・豊臣秀吉には勝てなかったというところに、歴史の栄枯盛衰を感じます。

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「どうせ生きるなら笑っていよう」と説く布袋尊が、北条氏の栄華から滅亡までを見守ってきたのかと思うと、改めてその言葉の重みを感じるのではないでしょうか。

境内に赤穂浪士関係者のお墓もあり、七福神巡りやパワースポットとしてのみでなく、歴史を調べながら歩くのもとても楽しいでしょう。

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