江戸時代の頃より、人々の間で巡礼が盛んに行われるようになりました。
近畿地方から岐阜県に点在する西国33ヶ所霊場、和歌山県の熊野三山、長野県の善光寺、そして四国88ヶ所霊場などを巡礼することが一種の流行であったようです。
この記事に書いてあるコト
四国88ヶ所霊場概略
四国88ヶ所霊場とは讃岐国(現 香川県)に生まれた空海(弘法大師)ゆかりの88ヶ所の寺院を総じて呼ぶものであり、札所でもあります。
大きく4つにくくられていて、阿波国(現 徳島県)の23か所を「発心の道場」、土佐国(現 高知県)の16か所を「修行の道場」、伊予国(現 愛媛県)の26か所を「菩提の道場」、そして讃岐国の23か所を「涅槃の道場」と呼びます。
総距離1100~1400キロの四国88ヶ所巡礼を遍路といい、巡礼者をお遍路さんと呼びます。
札所のはじまり
札所とは四国88ヶ所のお寺のことです。
その昔、ある人物が空海を探し歩き、空海が立ち寄りそうな寺を巡っていました。
伊予国(現 愛媛県)の豪農で欲深く、人望の薄い人物でした。
名前は衛門三郎。
ある日、門前に托鉢に訪れた僧を追い返したところ、その僧は連日現れました。
八日目に、三郎は起こって僧の鉢をたたき落とし割ってしまったのです。
以降、度重なる不幸が衛門三郎の身の上に起こります。
僧は空海だったのです。
夢枕でそれを悟った三郎は、過去に自分のしてしまったことを悔い、空海を追い求める旅に出ます。
自分が探しているということを空海に知らせるため、行く寺ごとで名前を記した札を打ち付けたのが、納札の始まりといわれています。
そうした言い伝えから、かつて巡礼者たちはお参りをした後、寺に札を打ち付けて納めていたのです。
従って遍路をすることや、札所で参拝することを今でも「打つ」と言うことがあります。
四国88ヶ所の歴史
四国88ヶ所は空海と関わりの深い寺院の総称です。
真言宗の宗租である空海は讃岐国、現在の香川県生まれ。
古代、四国は修行の地ともいわれ、空海も故郷である四国で山岳修行を積んだ時代がありました。
その際、空海が辿った霊跡を後に真言宗修行僧らが遍歴し、四国88ヶ所霊場として成立していきました。
江戸時代には僧侶だけでなく一般民衆の間でも四国遍路巡礼が盛んとなり、遍路の指南書が記されたり、遍路道の道しるべの設置もなされたようです。
明治時代に発せられた神仏分離令により四国88ヶ所霊場の一部は大きく変わり、更に1993年、第30番札所が確定して現在の形に落ち着きました。
今日では観光と捉える風潮も強く、また、癒しの旅、自分探しの旅といった目的の巡礼者も多いようですが、昭和30年代ごろまでは長い期間を掛けて歩いて巡礼するというもので、決して手軽なものではありませんでした。
四国88ヶ所霊場1200年総開帳
平成26年、四国88ヶ所霊場は開創1200年を迎えました。
四国の四県では各霊場を始め、美術館や博物館、地元報道機関などが共同で四国遍路に関する様々な催しを開催しています。
まとめ
2014年は開創1200年を記念した開帳ということで、日ごろは目にすることのできない国宝級の像や書物、お堂など、空海ゆかりの貴重な品々が公開されています。
1年をかけ、順次企画展などが開かれるほか、お砂踏み、大法要、記念スタンプ押印などの行事、そして各寺院においては開帳が行われ、そのスケジュールは公式ホームページにて知ることができますよー!
やっぱり四国はうどんだにゃー
ボクはかまたまが1番好き。2番はネコ舌だからひやひやかにゃー
あんたのおうどんはいいから。
そんな四国のお遍路は・・・広く知れ渡るようになって四国88ヶ所霊場には海外から訪れる人も多く、1200年記念を盛大かつ厳かに迎えたのよ。
もうずいぶん前のことだけど、昨日のように思い出せるわ。そんな私の原点の四国八十八箇所お遍路を追ってみました。