小江戸川越七福神巡り・五番目のお寺は「蓮馨寺」。 蔵やお菓子横丁といった懐かしい雰囲気の街並みに、静かに佇むお寺です。
七福神の一人「福禄寿」を祀る蓮馨寺の見どころ・特徴について紹介します。
この記事に書いてあるコト
蓮馨寺の概要
徳川家にゆかりのある蓮馨寺は、本川越駅を出て昔ながらの蔵造りの建物が立ち並ぶ方へと歩いていくと、木々に挟まれた石畳みの先に荘厳な雰囲気のお寺が出てきます。
カラフルな布がかかったお寺の美しさに、通り過ぎる人の多くが目を奪われることでしょう。
この「蓮馨寺」は、1549年に川越城城主・大道寺駿河守政繁の母が建立、甥にあたる感誉存貞に創建をしたお寺です。
感誉存貞は、浄土宗の僧侶になるためには必ず受けなければならない「浄土宗伝法」を確立させた人物でもあり、そのことも関係して蓮馨寺はとても有名なお寺のひとつです。
また、蓮馨寺の特徴として「徳川家と深い縁があるお寺であった」ことが挙げられます。
浄土真宗を深く信仰していた徳川家は、「浄土宗関東十八檀林」という僧侶が学問を学べるお寺のひとつに蓮馨寺を加えました。
家康が征夷代将軍となり江戸幕府を開いたのが1603年ですので、蓮馨寺はその直前に関東十八檀林に加えられたことになります。
すでに揺るぎない権力を持っていた徳川家が蓮馨寺を関東十八檀林に加えたことは、お寺側にとって非常に名誉なことだったのは間違いありません。
「葵の御紋」の使用を許されていた
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さらに、蓮馨寺はこの縁から「葵の御紋」を掲げることを許されています。
当時の日本において、葵紋の使用を許されるということはこの上なく名誉なことでした。
というのも、葵紋は徳川家の御紋として厳格な扱いをされていたため、誰もが勝手に使える紋ではなかったからです。
葵紋には多くの種類があり、他に葵紋を使用していた武家もありましたが、家康の地位が上がって将軍になるころには徳川家に配慮するようになり、別の家紋を使用するようになっています。
「水戸黄門」で、「この紋どころが目に入らぬか」と印籠を出すと、敵が恐れおののいてひれ伏すシーンを見たことはありませんか?あの印籠に描かれている家紋が、徳川家の葵紋です。
あのドラマの中での様子が「あながち間違っていない」と言えるほど、葵紋は地位と権力の象徴でした。
その葵紋の使用を許されていたということが、何よりも蓮馨寺の格式の高さを示していると言っていいでしょう。
川越城主でさえ、蓮馨寺の前を通るときは黙礼をしていたと伝えられています。
蓮馨寺では現在も葵紋を大切に扱っており、公式サイトでも葵紋を掲載し、徳川家との所縁を後世に伝えています。
関東の猛者「北条氏」との縁も
浄土宗伝法には、戦国時代に関東一帯を支配していた北条氏も大きくかかわっています。
川越城の城主が大道寺駿河守政繁であったことは上述していますが、大道寺駿河守政繁はもともと北条氏の家老の一人で、その縁から川越城の城主になりました。
その城主の母が蓮馨寺を創設に関わっていますから、蓮馨寺は北条氏との関わりも深いことになります。
北条氏はのちに豊臣秀吉によって滅ぼされ、その後に徳川家康が江戸に入りました。
蓮馨寺は、関東に入った家康との縁を深め、信頼を得て地位を盤石なものにしたのでしょう。
北条氏と徳川家は戦国時代を語る上で必須であり、その両者と縁があったということに、蓮馨寺の存在の大きさが伺えます。
「子育て呑龍」を祀っていいます
江戸時代には、存応(ぞんおう)という僧がいました。
存応は徳川家康と深いつながりがあった人物で、その直弟子にあたる人物が呑龍でした。
呑龍はいろいろな土地を旅しては、干ばつに悩む地域には雨を降らせ、食べ物が少ない土地では子供たちを預かってよく面倒を見ました。
存応も子供を非常に可愛がる人物と伝えられているため、その直弟子である呑龍が子供に優しいのはその影響もあったのでしょう。
また、このような人柄であった呑龍が人々に慕われるのも当然のことでした。
蓮馨寺では、現在でも呑龍上人の力を借りたいという方のために祈祷を行っており、人々もまた祈祷を受けるためにこの蓮馨寺に集っています。
毎月8日を「呑龍デー」と決め、小規模ながらもお祭りに多くの人々が集っています。
七福神「福禄寿」を祀っています
小江戸川越七福神巡り・五番目にあたる「蓮馨寺」では、福禄寿という神様を祀っています。
福禄寿は、その名前から連想できるように「幸福」「長寿」の神様で、右手には巻物をつけた杖を持ち、左手には宝珠を持つ姿で描かれています。
実は、同じ七福神の寿老人と福禄寿は同一の神様。
もともとは中国の道教の神様なのですが、日本では別々の神様かのように広まってしまい、それがそのまま定着して現在に至ります。
七福神に加えられた時期も福禄寿が先で、そのあとに寿老人も加えられています。
福禄寿の御利益
- 延命長寿
- 財運招福
- 立身出世
- 招徳人望
蓮馨寺の見どころ
水屋彫刻の美しさは一見の価値ありです神社を見て回ると、水屋に彫刻が施されていることに気づくはずです。
人の手と時間をじっくりとかけて彫られた美しい彫刻は、そのまま蓮馨寺の華々しい歴史をあらわすかのよう。
蓮馨寺は明治時代の火事で一度消失していますが、この水屋はその時に焼失することなく、当時のままの姿でそのまま残っています。
北条氏から徳川家まで、常に歴史の主役となってきた人物との縁が、この彫刻の豪奢さからつたわってくるかのよう。
水鉢の龍頭は、川越出身の彫刻家の手によるものです。
阿弥陀如来
蓮馨寺の御本尊は阿弥陀如来像。
この世のすべての人を、極楽浄土に導くと言われている仏様です。
おびんずる様
境内にある「呑龍堂」という場所に行くと、赤い布をつけた茶色の銅像を見つけることができます。
これは「おびんずる様」と言って、体を触ると体が良くなり、頭を触ると頭が良くなると伝えられるもの。
おびんずる様はお釈迦様の弟子のひとりでしたが、お釈迦様より「お寺の中に出て、インドをめぐって困っている人を助けるように」と命じられ、旅に出ました。
おびんずる様はあちこちのお寺で見ることができますが、上記のことを踏まえてお寺の外に設置されていることがほとんど。
お釈迦様が「お寺の外に出て」と言ったこと、できるだけたくさんの人を助けるためにあちこちを旅していたからこそでしょう。
毎月8日の呑龍デー
毎月8日になると、境内では踊りや講演が行われたり、フリマが開催されたりと賑わいます。
この日には、境内に所狭しとビニールシートや机が並び、商品を売る人と買い求める人でいっぱいに。
規模は小さめですが、「昔もこうして人々が集っては楽しく過ごす場だったのだろう」と感じさせてくれるひと時です。
蓮馨寺は、過去には午後三時に鐘を鳴らし、街の人々に浴場を貸し出していたこともありました。
境内で行われているフリマの様子を見ていると、当時の人々がここに集う様子も想像できるのではないでしょうか。
蓮馨寺のお守り・御朱印・ご朱印について
蓮馨寺の境内では「交通安全」をはじめ多くのお守りや絵馬を授与しています。
御守りはいろいろな形やお色があり、すべて500円。
自分のために、お土産用に、好きなものをチョイスしてください。
また、安産祈願は毎日受け付けているそうですので、妊娠中の方はぜひどうぞ。
別売り3000円で腹帯も販売されています。
パワースポットとしての蓮馨寺
蓮馨寺には・・積極的に子供を助けた呑龍上人を祀っているからでしょうか、とても暖かいエネルギーに満ち溢れたお寺です。
境内にはたくさんの鳩があつまっているので、その光景もあたたかな雰囲気に一役買っているのかもしれません。
なにより、毎月8日に行われる呑龍デーが果たしている役割は大きいのではないでしょうか?規模は大きくありませんが、月に一度こうして住民が集まるお祭りがあるということは、人々が集って楽しむ習慣を作ることに繋がります。
今でも多く人が集まる蓮馨寺だからこそ、いつ訪れても温かな雰囲気にあふれているのでしょう。
また、子供を大切にした呑龍上人を祀ったお寺ですから。
子供に関する悩みがあった時に頼れます。
子供を連れて遊びに行ったり祈祷を受けてみると、子供に関する悩みが軽くなったり、子供にいいことがあるかもしれません。
何より、この温かい雰囲気のお寺の空気が子供を大切に包んでくれるでしょう。
子供と一緒に鳩を見たり、お祭りの日には芸能に耳を傾けたり、日ごろから子供を連れてお出かけをしてみるといい影響があるかもしれませんね。
連携字の中には飲食店もあり、太麺やきそばを食べらえる「まことや」、醤油だんごを出してくれる「松山商店」があります。
お散歩の途中に訪れて、のんびりと景色をみながらお団子を食べてみませんか?日常の中にお寺を取り入れ、日々そのパワーを吸収したくなるような、そんなお寺です。
まとめ
華麗なる徳川家の栄華を感じてください江戸城に比較的近い位置にあるからでしょうか、川越には家康にゆかりのあるお寺が複数あります。
その中でも、葵紋の使用を許されていたという意味で蓮馨寺は特別なお寺と言っていいでしょう!
太麺やきそばと醤油団子は絶対だにゃーー
蓮馨寺は・・・残念ながら一度消失してしまっているため、今ある本殿はのちに作り替えられたものですが、それでも徳川家の威光を今も伝えようとする佇まいには圧倒されます。
また水屋は当時のままですので、江戸時代の建築技術を見たい方にもおススメ。
七福神巡りで訪れたときは、ぜひゆっくりと境内を散策して蓮馨寺の雰囲気に触れてみてください。
ノスタルジックな空気を味わうことができる、そんな懐かしい空気が漂うお寺です。